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マレーシアの歴史について(独立以降)


1968年 独立国家成立後、共産主義者の反乱をはじめとする、民族間の紛争がたびたび起こり、混乱の時期に突入します。

1969年 5月13日、マレーシア史上最悪の民族衝突事件、「5・13事件」が勃発。
5月10日に実施された総選挙で躍進した中国系支持の民主行動党の祝勝パレードと、マレー系支持のUMNO(統一マレー人国民組織)のデモが衝突、これを機に銃撃や放火などにより死者196人、負傷者439人の犠牲者を出すという悲劇となりました。

1970年 7月、緊急条例発布され、9月、初代首相、ラーマン首相が辞任。第2代首相にトゥン・アブドゥル・ラザクが就任しました。
1971年、ブミプトラ政策を開始。民族間対立の原因にもなったマレー系と中国系マレーシア人の経済格差を是正するため、マレー系を経済的に優遇する政策。
ブミプトラとは「土地の子」を意味し、マレー系国民ほか、オランアスリと呼ばれる、土着の少数民族も含まれます。

1981年 マハティール・ビン・モハマドが4代首相に就任し、徹底的な経済構造改革に取り組みます。
1981年から22年間に渡り、「ルック・イースト政策」を掲げました。長年に渡り、西洋諸国に偏っていたマレーシアの政策を改め、日本や韓国の技術などを学ぶことでマレーシアの経済発展を図るという試みでした。
その結果、シンガポールとともに1980年代から経済成長を遂げることとなりました。

1999年 首相官邸がクアラルンプール郊外のプトラ・ジャヤに移転されます。過密化が進むクアラルンプールから行政機構を移転し、首都機能が2010年までに遷都されました。

2003年 アブドラ・バダウィが5代首相に就任。2008年の総選挙にて、国民戦線が3分の2の議席を確保できなかったため、任期4年(二期目)を残し、辞任しました。

2009年 トゥン・アブドゥル・ラザクが6代首相に就任しました。

マハティール首相のルック・イースト政策により、日本の技術や経済文化を積極的に取り入れ、日本ともずっと友好関係にあるマレーシアですが、マレーシア国民の日本に対する見方もとても友好的です。
しかし、日本の統治下の混乱の時期にあった中国系マレーシア人への残虐な行為について語る、若い世代の中国系マレーシア人が存在することも事実です。
混乱期の日本人の行いについては様々な意見が飛び交う点だと思いますが、日本人が東南アジアの国々を訪れる際は、その国の歴史に目を向けて正しい認識を持つことが大切だと思います。